月刊「広報」1999年8月号初出
武庫川女子大学教授 佐竹 秀雄
数年来、ラ抜き言葉が問題にされている。「見られる」「食べられる」に対する、「見れる」「食べれる」という言い方である。テレビ、ラジオでは、アナウンサーが堂々とラ抜き言葉をしゃべっている。もはやラ抜き言葉は定着しているようだ。しかし他方で、ラ抜き言葉はやはり正しくないとする意見もある。入試問題では、まだ間違いであるとの認識だ。
ラ抜き言葉をめぐっては、現実には2通りの表現が行われ、いずれを正しいとするかでゆれているのである。このようにゆれている表現は、ラ抜き言葉以外にもみられる。
また、敬語に関して、どういう人物に対して、どの程度の敬語を使用するかの明確な基準がないという問題もある。例えば、一般企業でも、社長と係長に対する敬語のレベルに差をつけるかどうか、もし、つけるとすれば、どういう違いがよいのか、といった問題では、はっきりした答えがない。そのために、同じ人物に対する敬語表現でも、そのありようがゆれてしまうのである。
このような、とるべき表現がゆれている現実の状況は、広報の世界にも当然影響する。広報担当者たちは、ゆれる表現に対していずれを選択するかで悩むことになる。そこで、以下に、その問題点の概略とそれに対する私なりの基本的な考え方を述べる。
正しいか誤りかについてゆれているものとして、次のようなものがある。
ラ抜き言葉
「ご○○してください」「お○○していただく」
「○○したり○○したりする」のくずれ
ラ抜き言葉は、先にも述べたように、話し言葉ではすでに定着しているかのような状況にある。しかし、書き言葉の世界ではまだ抵抗も大きい。
その意味で広報紙でもラ抜き言葉を避けるのがよいと考える。
「ご○○してください」「お○○していただく」は敬語形式の問題で、具体例を挙げると、「ご利用してください」「お手伝いしていただく」などである。尊敬表現の際に、「ご利用する」「お手伝いする」という謙譲表現の形式が入ってしまう問題である。正しくは「ご利用ください」「お手伝いいただく」となるべきものであるが、これらもすでに多くの人が使っている。それも、より丁寧に述べるつもりで使っているのである。
例えば「利用してください」なら誤りではないのだが、それでは敬意が不足していると考え、「利用」に「ご」を付ける。その結果、間違いとなってしまうのである。使っている本人に間違いの意識が薄い。それで一層この表現法が広まるようだ。
これについて、「ご利用をしてください」の「を」がない形式と考えれば誤りではない、とする意見もある。しかし、この意見もまだ認められているとはいえず、広報紙では、やはり正しいとされてきた形式を守るべきであろう。
「○○したり○○したりする」のくずれは、「借金したり実業家として成功する夢を見る」のような場合である。これも現実に、新聞などでしばしば見かけるものである。しかし、右の例文で、「借金したり」に対応するものが「成功したりする」ならば借金も夢の話だが、「見たりする」となると借金は現実の話になる。つまり、「○○したり○○したりする」のくずれは、あいまいな表現になるおそれがある。その意味で、やはりきちんと述べるようにすべきであると考える。
以上、正誤に関するゆれについては、基本的に伝統的な表現形式をまもる立場にたつのがよいと考える。
どの人に、どの程度の敬語を選択するかに関して、広報紙で特に問題になりそうなのは、次の人たちへの敬意を表す場合である。
住民、障害者、高齢者、首長
まず、住民(読者)に対してだが、やや丁寧過ぎる表現が多いように感じられる。例えば、次のような表現がみられる。
気軽においでいただき、読書に親しんでいただく
植物愛好者や家族連れのかたがたでにぎわって--
読者、あるいは住民について述べたものである。前者は図書館についての記事で、「おいでいただく」「親しんでいただく」といった、かなり丁寧な敬語表現である。後者は、「人たち」ではなく「かたがた」という丁寧な表現である。行政は公僕で、住民のしもべであり、住民に対して丁寧に過ぎることはないという意見もある。しかし、行政はしもべという発想は古過ぎないだろうか。行政は住民の意思を受けて仕事をする機関であり、もっと対等に話し合う関係でありたい。口先だけのサービスは、かえって住民を見下した態度の裏返しとみられるおそれもある。
次に、高齢者に対してだが、名前を呼ばずに「おじいちゃん」「おばあちゃん」と呼びかける問題がある。これにも賛否両論がある。賛成の根拠は、親しみがあって温かいというもの。確かにそういう面がないでもない。しかし、高齢者であっても、その存在が認められている人は名前で呼ばれる。例えば、高齢の双子姉妹で有名なきんさんとぎんさんは、テレビで見る限りいつも名前で呼びかけられている。名前はアイデンティティーのあかしなのである。その意味で、高齢者にもできるだけ一個人として接して、紙面にもそれを反映させるべきではないか。
第三に、障害者の問題。「健常者の人」に対して「障害者の方」というような表現がみられる。あるいは、「周りの人」に対して「寝たきりの方」という表現もある。障害者に対して、普通以上に敬意が高いのである。ここには、障害者をハレモノ扱いにして、ふれないですましたいという気持ちが透けてみえる。ノーマライゼーションに逆行した態度である。障害者だからといって呼び方を特別にする理由はない。
第四は首長に対する表現である。例えば、
(市長に対して)お聞かせ願えませんか。
(町長が)話された。
のような表現がある。
自治体の広報紙で首長に敬語を使うというのは、身内に敬語を使っていることになろう。執筆者にとって、どれほどの身内意識があるか疑問ではあるが、やたら敬語を使うのは考え直すべきではないか。
以上、敬語表現に関しては、全体に程度が高かったり、丁寧過ぎたりする表現が使われる傾向にある。敬語に関しては、できるだけ使わない方向を目指すことを提案したい。
ただ一つだけ、現状で敬意が薄いと思われる表現を指摘しておく。それは「住民ら」のように、複数の人に対して「ら」を使う用法である。これは公用文や新聞でのお薦め形式であるが、見下した印象が強い。「住民たち」と「たち」を使うことを検討してほしい。