トップページ > コラム > Net de コラム > Vol.28 広報とプロデュース・マインド
テレビの世界で仕事をしてきたこの25年間に、何人かの「師」と呼べる人たちに逢(あ)えたことを幸せに思っている。その一人が、テレビマンユニオンの初代社長であり、『オーケストラがやって来た』や、日本初の3時間ドラマ『海は甦る』などのプロデューサーとして知られる萩元晴彦さんである。
4年前、71歳で亡くなるまでプロデュース活動を続けた萩元さんから、私は多くのことを学んだが、その最たるものはプロデューサーの心、いわば“プロデュース・マインド”とでもいうべきものだった。
『広辞苑』によれば、プロデューサーとは「製作者。特に、映画・演劇の製作・上演に当って、立案・人事・予算などの責任を負う人。また、ラジオ・テレビなどの番組製作者」である。確かに、プロジェクトに関するお金のこと、内容のこと、そこに参加する人間のこと、その三つに全責任をもつのがプロデューサーの仕事だ。
けれど、それが達成できさえすればプロデューサーたり得るのか。そうではない、と萩元さんは言う。さらに“プロデュース・マインド”が必要なのだと。
常に創造に対する尊敬と謙虚さを忘れなかった萩元さん、いわく……
「神様が一つだけ力を残してあげよう、と言ったなら私は躊躇(ちゅうちょ)なく“夢見ること”と答えよう。 プロデューサーは夢見る」
「何より必要なことは平明さであり、その平明なものの底に“ほんとうのもの”があること」
「創造的な仕事と、そうでない仕事があるのではない。創造的に仕事をする人と、そうでない人があるだけです」
近年、広報番組・広報映像は、自主制作よりも委託制作が圧倒的に多い。しかし、行政側の担当者は、単なる受注・発注の関係の中で作業を進めてはならない。自身もまた「プロデューサー」であることの自覚が必要なのだ。役割は、映像のプロ、制作のプロがもつ能力を、120%引き出すこと。
オリエンテーションの力、企画を見極める力、制作プロセスでの適切な意見など、プロデューサーとしての広報担当者のレベルが、でき上がるもののレベルを決定すると言っていい。目指すべきは、プロデュース・マインドに満ちた広報プロデューサーである。
1955(昭和30)年生まれ。長野オリンピック開閉式プロジェクトやゲームソフトのプロデュースなどを経て現職に。千歳科学技術大学光科学部光応用システム学科助教授。