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「ことば」の取り合わせ

数年前、京都の桂離宮を見学しようと、すっかり市街地になったそのあたりを歩いていると、拙(つたな)い字の割に大きな看板「肩こりの店」が目についた。「肩こりを癒(いや)してくれる店」とすぐに分かるものの、その不思議さに旅先の一興を感じた。

また以前、上野の国立博物館への道すがら、車を停(と)めて寛永寺の裏に通じる路地を歩いていると、駐車場の入り口に「空室あります」の手書きの看板を発見。今春、比叡山の御開帳を拝見するため、再び同じ道を探したが、既にそれは風情のない告知になっていた。その代わりというわけでもなかろうが、斜向(はすむか)いの民家の駐車場には前に気づかなかった「空席」の文字を発見。「空室」よりは落ち着くかと納得。

調布の深大寺の門前には蕎麦(そば)の茶屋がひしめいている。連休も終わった週末、のんびり座敷に上がりこみ注文の品を待っていると、目前の駐車場には、「危険のため」通り抜けを禁止する旨をうたっている。「危険なので」「危険ですから」だったらどうか、と思いめぐらす。

これらは、いずれも決定的に大きな「ことば」の間違いとまでは言えまい。別の意にすっかり取り違えられてしまう、とか意味の取りように迷う、というおそれはさほど多くはなく、言いたいことはそこそこ伝わって事はすんでしまうだろう。とはいうものの、一旦(いったん)看板になって文字に固定してしまうと、その言い回し、特に「ことば」の取り合わせの問題が頭から離れず何度も反芻(はんすう)してしまう。

研究所への「ことば」の質問にもこのような「ことば」の取り合わせの問題がある。例えば市民が記入する申請書類の様式で、その欄外にある宛先(あてさき)が役所の長であるところを「~長様」と予(あらかじ)め刷ってあるという。国の公用書類のように「殿」は、なるほど身近ではなく、時には冷酷でかつ偉そうで、一般市民の日常生活に突如舞い込んだ際には、不審や不快を与えるかもしれない。が、単にすべての「殿」は「様」に直せばすむかといえば、役所側の身内としてはどうか、ということになる。

もとは敬意による敬称とはいえ、「殿」には公的な「あらたまり」を表す効果も強い。督促状や召喚状が「様」で来てもあまり凄(すご)みがない。その意味で社会的に「殿」の受け入れられている面もある。一方ある地域では、市民宛(あ)てには「様」を使い、長に向かっては「あて」と敬称を省き、明らかにウチとソトを区別している例もある。

その場に相応(ふさわ)しい「ことば」の取り合わせがあちこちで気になる。

やまださだお

1959(昭和34)年生まれ。国立図書館情報大学講師などを経て、国立国語研究所主任研究員に

 

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