去る4月、北京大学の招請で、北京大学の学生を対象に特別講義を行う機会を与えられた。これは、日中国交正常化30周年記念行事の一貫として北京大学が主催したもので、北京大学の学生のうち日本関係を専攻している人たちに、日本をより正しく知る機会を与えようという趣旨で実施されたものである。私は、これからの中国の指導者となる学生諸君に日本を正しく知ってもらう、その一助になればと考え、日本の統治構造について三日間にわたって特別講義を行った。
この間、学生たちの態度がきわめて熱心であり、また、礼儀正しいことに深い感銘を受けた。最近のわが国における大学の講義の状況等と比べて、中国の学生諸君が中国の近代化、興隆発展に向けて強い信念をもっているとの感を深くした。
私はこの機会に、北京及び上海を15年ぶりに視察する機会を得た。1987(昭和62)年に、地方自治情報センタ-理事長として、中国の若い指導者を対象にしたコンピューター技術の向上を図る教育訓練援助計画について、中国政府の関係者と打ち合わせのため北京を訪問して以来である。
そのときの北京は、街は古い瓦(かわら)の低層住宅が一般的であり、清朝時代からあまり変わっていないという印象であった。道には自転車があふれていた。ところが、現在の北京は高層ビルが林立し、高速道路が整備され、自動車の洪水に悩まされるという状況に変わっていた。私はこの15年間の中国の変貌(へんぼう)というものを肌で感じたところである。
上海も同様で、15年前の上海は、港湾地域など昔の歌に出てくるような情景であったが、今日では、浦東地域を中心に超高層ビルが相次いで建設され、世界でもっとも活気のある街という印象を受けた。
一方、中国の人たちも大きく変わってきているように思えた。15年前は、中国の人たちから「いかにして経済の立ち後れを取り戻したらいいのか」、「日本に学びたい」という言葉を多く聞かされたが、今回は日本に学ぶという感じはなくなり、日本についてより正しい知識をもとう、ライバルとしての日本をより正しく知ろうという態度に変わっていた。
先進技術について学ぶとすれば、それは日本ではなくてアメリカという感じで、中国の優秀なトップクラスの学生は競ってハーバード大学などアメリカの有名大学に留学している。
このような中国に対して、最近のわが国の政治家やマスコミ、経済人の中には中国脅威論を唱える人が増えている。事実、製造業を中心に生産拠点を中国に移転させる企業が相次いでいるのである。
これは、何よりも中国の労働者の賃金水準が日本に比べて20分の1ないし30分の1ときわめて低いということ。それから土地が安いこと。そのほか電気料金、水道料金がはるかに安いということなどが背景にあると思われるが、中国人労働者が若くて非常に優秀であるということも指摘されている。また、労働力が安いことから、わが国に中国の安い工業製品や野菜、果物などが大量に輸入され、国内産業に深刻な打撃を与えていることも中国脅威論の背景にあると思われる。
しかし、中国もわが国もWTO(世界貿易機関)に加盟している以上、基本的には中国からの経済的な挑戦は受けて立たざるを得ないと思う。
そこで、日中のこれからの経済関係をどうしたらいいかということについて考えたわけであるが、中国人はまだまだ日本の技術力、経済力について畏敬(いけい)の念をもっていることも事実である。
また中国は今後、著しい経済発展を遂げるにつれて、わが国の工業製品の輸出市場として従来よりもはるかに大きな市場に成長する可能性をもっている。現に、中国のWTO加盟以後、日本から中国への自動車の輸出台数は大幅に増加しているのである。
私は、これからの日中関係を考えるにあたっては、中国を恐るべきライバルとしてのみ見るのではなく、対応のしかたによっては頼もしいパートナーともなり得ると考えていったらいいのではないかと思う。いかにして中国市場を開拓し、日本の製品を売り込んでいくかということを真剣に考えたらいいのではないかと思う。
また、日本のもっている優秀な技術力を積極的に中国に移転し、彼らの経済のスケールを大きくすることによって、日本との貿易をトータルとして増やしていくという前向きの発想があっていいのではないかと思った次第である。
私自身、北京大学の学生諸君に対して、これからの日中関係はライバルであると同時に、対等なパートナーとしてお互いに切瑳拓磨(せっさたくま)していく関係でなければならないと申し上げたところである。
2002(平成14)年6月掲載
石原 信雄 1926年生まれ。 52年、東京大学法学部卒業後、地方自治庁(現総務省)入庁。82年財政局長、84年事務次官、87年(~95年)内閣官房副長官(竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山の各内閣)を務める。 現在、公益社団法人日本広報協会会長、一般財団法人地方自治研究機構会長。 |