小泉改革が、いま、正念場を迎えている。
小泉さんは、聖域なき構造改革を断行するという公約を掲げて、自民党の総裁選に臨み、国民の圧倒的な支持を得て総裁になり、総理大臣に選ばれた。そして、小泉さんは公約どおり従来の派閥順送り人事を排して、総理の判断で閣僚を任命し、内閣を発足させた。この点も、多くの国民が支持している所以(ゆえん)である。
小泉さんは、わが国の置かれている情況を直視して、あらゆる面で従来のしがらみを断ち切り、改革を断行することによって、日本を生き返らせようとしている。
小泉さんの改革の手法は、これまでの自民党政治の手法とは全く異なるものである。従来、いろいろな政策を決める場合、まず関係する省庁とその省庁を担当する自民党の部会の有力メンバーが相談して、政策の原案を作り、党内論議を経て成案として取りまとめるという方式を採ってきた。いわゆるボトムアップ方式が自民党の政策決定の原則的な形態であったということができる。
このような方式を採る場合には、特定の業界あるいは特定の分野に大きな犠牲を強いる、いわゆる痛みを伴う改革はできないといっても過言ではない。これまで、日本の経済や財政が、危機的な情況に陥っているにもかかわらず抜本的な改革策がとられなかった大きな理由は、関係する人たちの意見を汲(く)み上げ、最大公約数としての政策を決定する方式を取っていたからにほかならない。
この国の閉塞(へいそく)状態を打破するために、利害関係を有する各方面に配慮しながら最大公約数的な改革案をまとめる手法では、抜本的な改革を行うことは困難であり、そのことはこれまでの歴史が示すところである。
その点、小泉さんは、わが国にとって真に必要と考えられる改革については、関係者のコンセンサスを得て進めるという手法をあえてしりぞけ、自分の責任と判断で改革を進める姿勢を示している。
それだけに、従来の政策決定方式にかかわってきた政治家や官僚からすると、小泉流のやり方は独裁的である、大統領的であるという批判になって現われるのだと思う。
しかし、真に痛みを伴う改革は、大方のコンセンサスを得て実行するというやり方では実現性が乏しくなることは否定できない。その意味で、私は、いま小泉さんがやろうとしている特殊法人改革、社会保障制度改革、財政改革等については、その手法として正しい方向ではないかと思う。
ところで、民主的な政治あるいは政治体制と総理大臣のリーダーシップとの関係をどのように考えたらよいのかということが、いま問われていると思う。
重要な政策決定は法律の制定や改正、予算という形で実行されるわけだが、それらは国会を通らなければ成立しない。そして、国会を通すためには与党の協力がなければならないことは言うまでもない。
そこで、自民党の総裁である総理大臣が、聖域なき改革を実行しようとする場合に、与党議員の理解を得ないままトップダウンで行おうとすれば、「国会が通らないじゃないか」とか「実現性がない」といった批判が起こるわけで、改革に消極的ないわゆる抵抗勢力といわれる人たちは、この点を特に強調しているように思う。
ところで、総理総裁は、時の政権与党の議員の多数の支持があって初めて誕生するものであること言うまでもない。民主主義政治のもとで、与党の議員が、国民の気持ちを踏まえて改革を断行しようとしている小泉さんを総理総裁として選んだことは間違いない。
その小泉さんが自分自身の判断で一定の改革を実行しようとするときに、小泉さんを総理総裁として選んだ議員が、具体的な改革について協力しないということになれば、今の民主主義のシステム、議会政治のシステムそのものが成り立たなくなるという可能性がでてくる。したがって、聖域なき改革を断行するということで国民的な支持を得ている小泉さんをサポートするのが、与党議員のあるべき姿ではないかと思う。
しかし同時に、総理大臣であり総裁である小泉さんは、我が国の置かれた現状のもとで、必要と思われる改革の実行について与党の理解を求める努力を当然されるべきであると思う。
いわゆる問答無用型の政治は、民主主義社会にはなじまない。民主主義のルールは、国民によって選ばれた議員が、国民のための政策を遂行するにあたって最もふさわしい人を指導者として選び、その選ばれた総理総裁が、国民のために勇断をもって改革を断行するということでなければならないと思う。
そういう意味で、いま、論議されている諸々の改革が総理の指導のもとに実現できるかどうかということは、わが国の民主主義体制がこの危機の時代に耐えられるかどうかを試されているといっても過言ではない。
私は、いま、小泉さんがやろうとしている改革がもし多数の与党議員の反対で挫折(ざせつ)するようなことになれば、わが国の民主主義体制に暗い影を落とすことになるのではないかと心配している。
2001(平成13)年12月掲載
石原 信雄 1926年生まれ。 52年、東京大学法学部卒業後、地方自治庁(現総務省)入庁。82年財政局長、84年事務次官、87年(~95年)内閣官房副長官(竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山の各内閣)を務める。 現在、公益社団法人日本広報協会会長、一般財団法人地方自治研究機構会長。 |