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石原信雄の世相診断 Vol.3

男女共同参画社会について

8月19日のテレビで、元経済企画庁(現、内閣府)長官の高原須美子さんが亡くなられたことを知り、私はたいへんショックを受けました。高原さんは、私が自治省(現、総務省)に在職中、地方制度調査会の委員として、地方行政の発展のために、たいへん有益なアドバイスを頂戴した方でした。

もともと高原さんは、経済専門誌『エコノミスト』の記者として活躍しておられて、ご縁があって、地方制度調査会の委員をお願いしたわけですが、高原さんは、あまり女性ということを意識させない方でした。

といいますのも、各界の指導的な立場におられる女性の中には、ことさら女性であることを前面に押し出される方が少なくないからです。その点、高原さんは一市民として、また経済の専門家として、男女のこだわりなしにたいへん適切な意見を述べられた方でした。

そういうお人柄から、私が官房副長官として内閣に入ってからも、各省庁から各種の審議会や調査会の委員に、ぜひ高原さんをという希望が多く、その調整に苦慮いたしました。各省庁とも政策の遂行にあたり、女性の意見を反映させたいという希望をもっているのですが、実際に女性の委員を委嘱しようとすると、なかなか適任者が見当たらないという悩みがあったからです。

それというのも、わが国は男性中心の社会が続きましたので、経済界でも学会でも、また行政の分野でも、女性の占める割合が非常に低かったことは否めない事実です。

そうした中で、貴重なご意見を頂戴できるのですが、女性という立場を前面に持ち出して意見を述べられる方もおられて、あまり女性ということを強調しすぎるがゆえに、各省庁としても、頭を悩ませる場面が少なくなかったように思います。

その点、高原さんは鋭い時代感覚をもっておられて、その上明るい性格の方で、政府の各種の施策を進めるにあたり、貴重なご意見を頂戴(ちょうだい)できました。

高原さんが経済企画庁長官として入閣されたとき、私は閣議でずっとご一緒したわけですけれども、男性ではなかなか気がつかない問題点を指摘されることがありました。その場合でも、けっして女性であることを強調されることなく、非常に素直に、高原さんらしい視点で問題をとらえておられました。

そういう高原さんが68歳という若さで亡くなられたのは、なんとも惜しまれますが、男女共同参画社会を実現しようという機運をつくる上で、高原さんの果たされた役割はたいへん大きかったのではないかと思います。

ところで、政府は、男女共同参画基本法の制定を契機として、各省庁の施策のあらゆる分野に女性の意見を反映させる努力をしております。また、行政においても、女性の幹部職員の登用を増やすなど、この国の社会の在り様をかえていく過程で、女性の積極的な参画を促していこうという努力がなされています。

私は、男女共同参画社会を築いていく上で、男女が性別を意識することなく、それぞれが積極的な役割を果たしていただくようお願いしたいわけですが、今までは、女性の社会進出が少なかったということもあってか、女性なんだからこうしてほしい、こうあってほしいという要求や期待が、女性の側から強く出ていたように思います。しかしながら、女性なるがゆえに特別な配慮を求めるというような姿勢は、これからの男女共同参画社会にふさわしくないと思います。

一方、男性の側においては、女性に対する偏見といいましょうか、性差による固定的な役割分担の意識には非常に根強いものがありますので、まず、その点を克服する努力をしていかなければならないと思います。

いずれにしましても、高原さんとは、ことさら女性ということを意識することなくお付き合いできたことを、いま思い起こしておりますが、高原さんのようにおおらかな、それでいて、男性が見落としてしまいがちな点をしっかり押さえつつ世の中をリードする、そういう女性が増えてほしいと思います。

2001(平成13)年9月掲載

石原信雄の写真 石原 信雄

1926年生まれ。
52年、東京大学法学部卒業後、地方自治庁(現総務省)入庁。82年財政局長、84年事務次官、87年(~95年)内閣官房副長官(竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山の各内閣)を務める。
現在、公益社団法人日本広報協会会長、一般財団法人地方自治研究機構会長。

 

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