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石原信雄の時代を読む Vol.6

公務員制度改革と政党政治

盛んになってきた「政治と行政のかかわり方についての論議」

衆議院の解散・総選挙が近づいているということもあって、政治のあり方、とくに政治と行政のかかわり方についての論議が盛んになってきています。野党の民主党は政権交代をにらみ、自民党政権に対する批判を強めていますが、中でも目立つのは、これまでの自民党政権は官僚主導型の政治であり、それは国民のためになっていない、民主主義の理想からもほど遠いという主張です。

では、そもそも官僚主導とは、どういうことを指すのでしょうか。私は、国民のために行われる諸々の施策が官僚によって企画立案され、その採択・決定の過程でも官僚の力が非常に強く影響し、その結果として、国民の声が施策に反映されないということだと思います。そうだとすれば、我が国の今日の政治が、民主党が批判しているような官僚主導なのかどうかについて検証してみる必要があります。

 

最終的な政策選択と決定はすべて与党の手に

新聞・テレビ等で伝えられているとおり、最近は世界的な経済不況の影響で、我が国も100年に1度といわれる経済危機にさらされています。麻生政権はこの状況に対処をするために、平成21年度予算を編成し、その中で各般にわたる景気対策を盛り込みました。さらに、15兆4千億円規模の大型の補正予算を編成し、国会の審議を求めています。

この当初予算や補正予算の中で取り上げられている諸々の景気対策関連の施策、さらには社会保障や教育など各般の政策は、自民・公明両党による与党の政策審議機関及び与党が設置した各種の対策本部を中心に取りまとめられていることはご承知のとおりです。

つまり、原案は与党で論議され、そこで取りまとめられたものを内閣が正式に閣議決定をして、国会に提出しているわけです。これが官僚主導なのか政治主導なのかといえば、最終的な政策は明らかに与党を中心に考えられ、そして国会によって選ばれた麻生内閣の決定として国会に提出され、審議されているのですから、そのどこが官僚主導なのか理解に苦しむところであります。

確かに、経済対策に限らず諸々の政策の基礎的な検討材料は、各府省の諸君が調査・検討し、その結果を各政党や大臣に説明し、それが一つの判断材料となって、最終的な政策決定に至っているという現状があります。その意味で、官僚機構が政策形成に一定の役割を果たしていることは間違いありませんが、それはどのような政党が政権を担当する場合でも、基礎的な検討材料を得るための専門組織が必要なのです。現状は、その専門組織を各府省が担っているわけですが、それを官僚主導であるというのであれば、そもそもこの国の行政と政治の機能は成り立たないわけであります。

政策の企画立案から最終的な決定まで、官僚組織がすべて支配し、政治は単にそれを追認するだけというのであれば、言葉のとおり官僚主導だといえるでしょう。しかし現状は、基礎的な調査・研究こそ官僚が行っていますが、最終的な政策選択と決定はすべて与党が行っているわけで、これは政治主導以外の何物でもないと私は思います。

 

身分保障を担保された日本の官僚組織

しかし、民主党の一部の人たちは、アメリカ型の政治、アメリカ型の官僚組織にすることが政治主導の国の在るべき体制であると主張しています。

アメリカ合衆国では大統領制の下で、各省の幹部職員は主要な課長を含めてすべて大統領が任命しています。そして大統領が代われば、何千人という各省の幹部職員が交代します。生涯の仕事として行政の事務に携わる職員はいわゆる事務職員にとどまり、幹部にはなりません。民主党の一部の主張は、そういう形が我が国にとっても望ましく、そのためには、いまの官僚組織の幹部職員をすべて政党が自由に任命し、罷免できるようにすべきだと、それが政治主導の国家であるということのようです。

一方、我が国の現在の体制は、生涯、行政の仕事に携わる官僚組織となっています。そのトップである事務次官以下、局長、課長及びすべて官僚組織は国家公務員法によって身分が保障されていると同時に、公務員は政治的に中立でなければならないこと、そして全力で国民全体の奉仕者として仕事に励むことが義務づけられています。

このように我が国の官僚組織は、政治に対して中立であり、また行政が公正に行われることを担保するために、事務次官以下の公務員は身分を保証されていますので、内閣が代わってもただちに罷免されることはありません。

このような官僚の中立性を担保するための身分保障のスタイルは、ヨーロッパの国々が取っている体制です。ヨーロッパの国々では、古くからしっかりとした官僚組織が存在し、その時々の政権がそれを上手に使うことによって、効率的かつ公正な行政を行う形をとってきました。

我が国はそのヨーロッパ型の政治体制を選択し、総理大臣はアメリカ型の大統領のように国民が直接選ぶのではなく、国会が選ぶ形をとっています。このような我が国の今のスタイルが、真の民主主義に沿っていないというのが民主党などの主張のように思われますが、要はどちらの体制がその国の実情に合っているのか、風土に合っているのかということではないでしょうか。

 

行政の中立性が損なわれた苦い経験

実は我が国でも、戦前、政党政治が華やかに展開されたことがありました。大正デモクラシーといわれたその当時、民政党、政友会という二つの政党が政権を争って、交互に政権を担当しました。まさにそのころは、政党が官僚の幹部人事を自由に行えるという公務員制度が実施されていたのです。

この政党による幹部公務員の自由な任用、いわゆる政治任用にはやや行き過ぎたきらいがあり、官僚の幹部が次の政権をにらんで行動してしまう、そのために行政の中立性が損なわれたという問題がありました。そして政党も適正な政策選択をできなかったこともあって、結果として軍人による政治の支配というものが実現してしまったわけです。その結果、先の大戦によって多くの国民を死に追いやり、この国を荒廃させてしまったことはご承知のとおりです。

 

公正中立かつ安定した行政の執行を

要は、官僚機構という組織を安定した形で活用するのか、それとも時の政権が自由に官僚のトップを交代させるようにするのか、そのどちらがこの国の国民のために望ましいかということに尽きるのではないでしょうか。

既に政府は、公務員制度改革基本法を昨年の国会で成立させています。それに基づき、今国会には、内閣人事局の設置を柱とする公務員制度改革法案を提出しています。公務員制度改革の狙いは、行政が真に国民のために役立つように効率的かつ公正中立に行われる仕組み、すなわち国民によって選ばれた政権が国民の福祉を増進するためにどのような公務員組織を整備するのか、どういう公務員制度にすることがその目的に適うのかということに尽きるのであり、この問題は過去の歴史や、それぞれのお国柄を考慮して、総合的に判断されるものであろうと思います。

一部の公務員の不祥事などが大きく報じられ、公務員全体に対する国民の不信感を強めていることは事実であります。公務員の諸君もそれぞれ襟を正さなければいけませんが、一国の制度として考えた場合、公務員制度は将来にわたって安定した行政の執行が可能なように、そしてその執行に当たっては常に公正中立でなければならないでしょう。

そういう要求を満たす制度を今後どうするか──すなわち、従来どおり公務員の中立性を守るために、幹部職員を含めて身分保障のある一般行政職とするほうがいいのか、それともアメリカ合衆国のように幹部職員はすべて政治任用とし、政権交代の際にはすべて交代させるスタイルがいいのか──これは目先の現象にとらわれることなく、我が国の将来を見据えて慎重に考えなければならないテーマであろうと思います。

 

2009(平成21)年4月掲載

 

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