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石原信雄の時代を読む Vol.3

後期高齢者医療制度はなぜ必要か

お年寄りの気持ちを逆なでしてしまった後期高齢者医療制度

去る4月27日、山口2区の衆議院議員補欠選挙において、与党・自民党の候補者が野党・民主党の候補者に大差で敗れ、政界に大きなショックを与えました。与党の敗北の要因として、いわゆるガソリン税の暫定税率の問題、あるいは国民年金の処理の問題なども指摘されていますが、何と言っても選挙直前になって、国民の関心が集中した後期高齢者医療制度の問題がそのもっとも大きな敗因であったことは間違いありません。

この4月15日、後期高齢者医療制度の対象となる75歳以上のお年寄りから(医療機関の窓口で支払う自己負担分を除いた)医療費の1割相当分を保険料として徴収する制度がスタートし、その保険料を年金から差し引くことになりました。

ただ、憲法59条の規定によって、参議院で否決された法律案も、衆議院で出席議員の三分の二以上の賛成があれば成立することになります。しかし、その規定の発動はいわば非常手段ともいうべきものであって、通常の法律案にこの規定を適用するのは容易なことではないと思われます。

自分自身の年金の支給額について満足しているお年寄りはそう多くありません。ただでさえ少ないことに不満を持っているお年寄りの年金から、医療費の保険料を差し引くと通告されて、お年寄りはびっくりし、また憤慨したわけです。そこで野党は、「これはまさに平成版の、うば捨て山ではないか」との論調でお年寄りの気持ちに効果的にアピールしたと言えます。

人間だれしも行政から受けるサービスは手厚いほうがいいわけですし、逆に行政コストとして負担する税金や保険料は少ないほうがよいと考えるのが人情です。特にお年寄りは、社会から疎外されているという被害者意識を持つ傾向が強いことから、今回の後期高齢者医療制度はまさにお年寄りの気持ちを逆なでした形になってしまいました。

 

健康保険制度を維持するために必要な制度

そもそも後期高齢者医療制度は、2年前の小泉政権の時代に決まったものです。今日、社会保障費の三つの柱である年金、医療、介護は、いずれも国民生活にとって切実な分野ですが、私たちが生活する上で何と言っても健康は一番大事であり、その健康を守るための医療保険制度は社会保障制度のなかでも特に重要なウエートを占めます。

ところがその医療費は、ご承知のとおり年々増加傾向が強まっています。その原因は、医療技術の高度化のほかに、高齢化の進行に伴ってお年寄りの数が増えていることなどが挙げられます。人は年をとれば健康を害するケースが多くなり、特に後期高齢者といわれる75歳以上のお年寄りの医療費は増加傾向が著しいのです。

一方、現在の医療保険制度は、国民全体が医療保険に加入して、基本的には現役世代が中心になって制度を支える仕組みになっています。具体的には、一つは税金として、もう一つは保険料として現役世代が負担をし、一部を患者自身が医療機関の窓口で自己負担分として賄う仕組みになっています。

ところが最近の少子・高齢化の進行の中で、医療費の増加に対処して医療保険制度全体を守っていくためには、お年寄りを含めて本人の負担を引き上げざるを得ない状況になってきたわけです。

中でも、お年寄りの加入者が多い市町村の国民健康保険は、その財政が年々厳しくなっていました。将来的に医療保険制度を維持していくためには、どうしてもお年寄りにもそれなりの負担をお願いせざるを得ないということから、この後期高齢者医療制度が創設されるようになった経緯があるのです。

具体的には、国民健康保険やその他の保険の対象から後期高齢者を抜き出して、都道府県単位の広域連合が保険の主体になるということにしました。その裏には、高齢者の割合の高い市町村ではもはや制度を維持できない、国民健康保険会計を維持できないというところが出てきてしまったことによります。そこで、自治体間のばらつきをならす意味で、都道府県単位の広域連合をつくり、そこが医療保険の主体になることにしたのです。そういった背景があってこの制度は創設され、同時に、一定の所得のあるお年寄りから、医療費の一割を保険料として負担していただく制度としたわけです。

 

根拠のない反対意見は無責任

この制度では、これまで健康保険の被扶養者として従来保険料を負担していなかったお年寄りにも、新たに保険料を負担していただくことになりました。また、市町村単位の国民健康保険の中には、財政の豊かな市町村では助成によって、医療費の負担を軽減している団体があります。今後は都道府県単位の広域連合になりますから、市町村ごとの個別の助成制度は当然なくなります。つまり、これまで助成を行っていた市町村に住んでおられるお年寄りは、その助成がなくなる分だけ負担が増えるという現象も起こります。

そういった中で、お年寄りの年金から保険料を徴収するのは酷ではないか、けしからんという主張が目立っています。

では、保険料を徴収しないとした場合、医療保険制度は果たして維持できるのでしょうか。若い人たちの負担が限界に来ていることからこの制度ができたはずなのに、今後も増加が見込まれる医療費をだれが負担するのかといったとき、もう一度若い世代に負担してもらうということに議論を戻せるのでしょうか。

それでもお年寄りの負担は免除する、軽減するというのであれば、その軽減した財源をだれがどういう形で負担するかということを明確にしなければ、この制度に反対する人たちの意見は非常に無責任な主張だと言わざるを得ないでしょう。

これは介護保険や年金制度、その他の社会保障制度についても共通する問題ですが、自己負担を軽減しますという主張は非常に聞こえがいいし、国民受けもするわけですが、それによる財政負担の増加をだれがどういう形で負担するかを明示しなければならないのです。

現在、我が国の財政は世界的に見ても最も危機的な状況に陥っています。したがってこれ以上借金を増やすことは許されない状況にあることは間違いありません。ですから、後期高齢者の医療費の一部負担を軽減ないし免除するのであれば、国と地方の借金をこれ以上増やさない前提でどういう方法があり得るのか、具体的に明示することが政治の責任だと思います。

目先の負担軽減など、国民に迎合するような政策を各政党が打ち出したならば、結局長い目で見れば国や地方の財政破綻につながってしまう危険性があるわけです。この機会に、国民全体がいま一度我が国の社会保障制度や財政の現状をしっかり認識して、目先の負担軽減、当面人気のある政策を受け入れることが将来どういう影響をもたらすかについて、冷静に考えてみる必要があるのではないでしょうか。

 

デメリットを受ける人への広報活動を十分に

ところで、今回の後期高齢者医療制度の実施については、2年前に制度の導入が決まっていたのに、PRが十分でなかったという批判が強くあります。振り返ってみると、確かに2年前、政府は医療保険制度を維持していくためには後期高齢者医療制度の創設が必要なのだということを説明していたし、国会でも論戦を行っておりました。
しかし、お年寄りの皆さんの耳に届く機会が少なく、その結果、この制度が自分の懐にかかわる問題であるという意識を多くのお年寄りが持てなかったのかもしれません。

こういう国民一人一人の懐に響くような制度改正を行うときには、念には念を入れて「こんな影響があります」ということを十分に知らせる努力が必要だったのではないでしょうか。私は、そうした行政の広報のあり方にも、反省しなければならない点があったのではないかと思っています。

実はこれまでも、社会保障制度や消費税率の改正などが行われるたびに同じような問題が起こっていました。例えば、村山内閣の時代に消費税の税率を3%から5%に引き上げましたが、このときも国民の理解を得るためとして施行を2年間延ばし、実際の引き上げは橋本内閣のときに実施しました。ほかにも要因があったとはいえ、消費税の引き上げ問題が響いて参議員選挙で自民党は敗北し、橋本総理が責任を取って辞職したということがありました。

あのときも消費税率の引き上げは、村山内閣のときに決まったわけですが、やはり目先のことにならないと国民の関心は今ひとつ高くならなかった。当時も、日々の生活に響くということをもっとPRすべきだったと言われていたのです。

今回の後期高齢者医療制度の創設についても全く同じことが言えると思います。やはり行政は、新しい制度の創設や制度の改正を行ったとき、国民のみなさんにどう説明していくかということについて、十分考えなければならないと思います。

要するに、制度の必要性をPRするのであれば、「若い人たちにこれ以上負担を強いるわけにはいきません。あなたたちの子どもや孫のために我慢してください」という説明を、デメリットを受ける人が納得できるように懇切丁寧にすべきだったのです。

制度実施までの2年間は、この制度によって痛みを受ける人たちに対するPRの期間として、理解を深めてもらう努力をもっともっとしなければいけなかったと思います。耳の痛い話(広報)を後回しにしてしまうという愚を、二度と繰り返してはなりません。

2008(平成20)年5月掲載

 

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