私は今まで、地方公務員としていくつかの業務を経験しましたが、「広報」ほど全国のつながりが強い部署は知りません。それはきっと広報という業務が、組織内では専門化し孤独を強いられる半面、全国では同じような境遇の仲間が存在して、互いに励まし、高め合えるからではないでしょうか。今回、Proud!Japan(プラウド!ジャパン)運動という大きなつながりに関わった1人として、特にそう感じています。
2011年3月11日に東日本を襲った、未曾有の大震災。被災地では、住民とともに多くの自治体・団体の仲間たちが、窮地に立たされました。
しかし仲間たちは、かつて経験したことのない大災害の中、たくましくシャッターを切り、ペンを走らせ、読者に希望を届けていました。そして被災地に生きる多くの人たちも、被災直後から秩序を守り、誇りある態度で避難生活に耐えていました。自らが厳しい状況に置かれているにも関わらず、他人を気遣い、助け合っていました。
その姿は、まさに日本の誇りでした。
私たちは「被災地のために何かしたい」と思いましたが、当初、被災地の外からできる物的支援は、あまりに小さく限られていました。しかし、「広報」だからできる「心の支援」があることに気がついたのです。
そして震災から約2週間後、Proud!Japan運動が立ち上がりました。
Proudは、Pride(誇り)の形容詞で、Proud!Japanを直訳すると、「誇り高き日本、堂々たる日本」というような意味です。
この運動は、Proud!Japanというロゴマークとともに、「被災地の皆さんは日本の誇りです!だからみんなが応援しています」というエールを日本中から被災地に送り、復興の力にしてもらおうという運動です。代表者は存在せず、趣旨に賛同した日本中の広報担当者がそれぞれ発起人となり、自身の組織が発行する広報紙や印刷物などで、東日本大震災の復興支援を読者に呼びかけます。
最初は近隣の仲間から始まった運動も、日本広報協会ウェブサイトの「ラウンジ」や月刊「広報」を通じて全国の担当者に伝わり、支援の輪は月を追うごとに広がっていきました。そして運動の立ち上げから半年が過ぎた現在では、被災地も含め100を超える自治体・団体・個人が運動に加わっています。参加する形は、広報紙、ホームページ、冊子、ポスター、ポロシャツ、ノボリ旗、名刺、封筒、送付文書など人それぞれですが、みんなの思いはたった一つです。
「東日本大震災の復興を支援しよう」
この思いが日本中の読者、そして被災地に届き、東日本大震災の復興を後押しすることを祈ります。
なつめ・けんじ
1974年生まれ
1998年4月 旧・大仁町採用
観光商工、農林、建設土木などを担当
2005年4月 合併により伊豆の国市へ
以後、広報担当