千枚岳に立つ筆者 |
この4月に、広報の現場に15年ぶりに復帰しました。「十年一昔」といいますが、世の中の変化が激しい昨今は、五年一昔か三年一昔。4月は、まさに浦島太郎状態でした。
広報も、紙だけの時代から、速報性が重視されるウェブサイトや、携帯サイトなどのモバイル情報との並立時代になりました。紙ベースの広報紙にしても、編集は、基本的にはDTP方式が主流。いまだにレイアウト用紙と格闘しながら、文章や写真、見出しを切り張りし、紙面づくりをする自分は、完全なアナログ派です。
広報を取り巻く世界は大きく変わりましたが、自分がかつて担当した当時、10年前、そして今日と時代は移っても、変わらないもの。それは市町村広報担当者の広報マインド・・・ではないでしょうか。
市町村の広報紙は、まちと住民とのいい関係を築くためのツールです。自分の住むまちに対する誇りと自信を住民とともにはぐくみ、自分の住む町を好きになってもらうための手段の一つが広報だと思います。
市外に出かけた子どもたちや、巣立っていった子どもたちが、そこで出会った人に出身地を聞かれたとき、自信をもって「わがまちの名」を口にできるようなまちにしたいと思い、平成元年度から5年間、「広報ふじえだ」を作ってきました。この思いは、再登板の今も変わりません。
広報の仕事は、行政の中で、ある意味、特殊な仕事かもしれません。でも、毎月1回から2回、自分の努力が広報紙という形になるというのは、本当に魅力的な仕事だと思います。努力はうそをつかないといいますが、先月より今月、今月より来月と、広報紙をよりよいものにすることができるのです。毎月毎月、勝負できるなんて、こんな幸せな仕事はないと思います。その分、いいものを作ろうとすれば、苦労も多いのですが・・・。
一人で広報を担当していると、「なぜ、自分だけ」とか、「だれもわかってくれない」とか、「相談相手がいない」とか、自らを悲劇の主人公に見立てていませんか。自分も、かつてはそんなふうに思ったこともありました。「広報ふじえだ」は、今も昔も4人で編集していますが、気持ちは一人担当とたいして違いませんから・・・。でも、全国に目を向けてください。自分と同じ思いを持つ人たちが、市町村の数だけ存在することに気づいていますか。
多くの市町村広報担当者が、毎回毎回、前回よりいい広報紙(住民にとっても、自分にとっても)を作ろうと、もがいています。8月末の高松市で開催された全国広報広聴研究大会に参加して、今も、いい広報紙を作りたいという熱い思いをもつ広報担当者がいっぱいいることを肌で感じてきました。
広報紙という勝負球が毎月2回もある幸せをかみしめ、4人のスタッフで、全国の広報仲間に負けないよう、切磋琢磨(せっさたくま)していきたいと思います。藤枝に住む人たちが、一人でも多く藤枝ファンになるために。
たにぐち・まさのり
1985年4月 藤枝市採用
1989年4月~1994年3月 広報担当
2008年4月 広報担当に復帰