現代日本の劣化が進んでいる…だれもがそのような、とらえどころのない不安を感じている。日常茶飯におこる負の出来事。モノの豊かさと引き換えに希薄になる信頼と絆(きずな)、崩れゆく地域の安心・安全、経済格差によりふくらむ不公平感が、その背景には潜む。また一方で、東京一極集中が加速し、地方には破たんの兆しすら見える。日本全体がバランスを崩しているのでは、との危機感がどうしてもぬぐえない。
このような時代ならばこそ、日本再生・地域主権をもとめる時流の中で、「京都」的な オリジナルな、ほんまもんの、もったいない(・・・ロハスにしてエコな)生き方が、改めて大きな意義をもってきているように、思える。
「京都」は日本文化の実家なのだ。しかし遺産都市ではない。たえず伝承と革新を繰り返しながら、つねに時代の新たな文化を創りだすヒトの力を、自然や環境との共生という日常生活の場で、はぐくんできた。東京が何事も「上」(ナンバーワン)をめざすところならば、京都はつねに「奥」(ほんまもん)を極めようという、異なるベクトルをもっている。四季をとおして、国の内外から7千万人を超えるゲストが「京都」を訪ねていただいている…この事実が物語っているものは何なのか。
21世紀…「モノ」から「こころ」へと価値観がシフトする中で、このような古くからの京都流のスタイルが、改めて日本の本来のバランスを回復するためには不可欠であり、「東京」に対して「京都」というもうひとつの焦点を、ポジショニングしていかなければならないと、改めて考えている。
時あたかも2008年…この一年、私たちが取り戻すべき有り様と進むべき道筋と智恵(ちえ)を、今ひとたび古典の世界に求めようとの「源氏物語千年紀」。また6月、京都で開催される「G8外相会合」には、京都議定書の発祥の地として再び、地球温暖化防止に向けた新たなメッセージへの期待が高まる。
日本国内のみならず世界への発信という視座からも、この2つのミッションをシンクロさせ、たしかな「京都」を発信していく…そしてこれらが、府民自らも「京都」の良さを再認識することにつながり、ふるさと「京都」への誇りにもつながっていく・・・と心に刻む。
あまみや・あきら
1958年京都市生まれ。81年同志社大学文学部卒業。
7年間の教員生活の後、88年京都府教委、さらに90年知事部局へ。
国際課、ソウル駐在、国際センター、商工部などの国際畑を歩み、2004年から現職。