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vol.1「チカラの源」

  • 西岡 真貴
    愛媛県内子町 総務課 行政財政班 広報・広聴係
畠山シショーとスタヂオの皆さん
畠山シショーとスタヂオの皆さん
(山形での全国大会会場にて)
前列左が筆者

23時、一人自宅で夕飯を食べる。今日は夏野菜たっぷりのカレー。コンビニでもレトルトでもなく手作りカレー。でも23時。間違いなく作ったのは私ではない。「広報、広報」と言う妻のせいで荒廃していく我が家。見かねた夫がついに料理を始めた。先述のカレー、夫作。「ルー」ではなく「カレー粉」で作るまでに成長した。「この特集はね、あれがこうで、これを頑張って・・・」と言う私に「このカレーはね、あれがこうで、これを使って・・・」と言う夫。ものは違えど日々工夫と努力。とりあえずよき理解者でいてくれている。

そもそも、フツーの広報紙を作っていれば「こんな生活」にはならなかった。出会ってしまったのだ、あの人に・・・。

一年前、「脱フツー」を目指したいと思いながらも何をどうしたらいいかわからず、目の前の仕事を片付けるのにいっぱいいっぱいの毎日。そんなとき一本の電話を受けた。見ず知らずのオレンジ隊長と名乗る方からの倉敷へのお誘い。広報人生最大に落ち込んでいた私は、気がつくと「行ってもいいですか」と言っていた。

導かれるように行った倉敷での全国大会。そこで神様の声を聞いた。「だいじょうぶだから。頑張れ」と。本人はそんな言葉は一言も言っていないのだが、私にはそう聞こえた。すごく救われた気がした。そこが私の原点になった。神様は広報仲間からシショーと呼ばれ、多くの弟子がいた。ショーゲキだった。いろんなことに打ちのめされた私は、弟子入りを志願。でも当然門前払い。払われても払われてもあきらめきれず・・・。ついにはシショーのまち藤沢町まで押し掛け、とうとうシショーを根負けさせた。福山スタヂオ四国分校の開校だ。そうして「こんな生活」が始まった。

DTPを導入し、毎月特集を組む。何を伝えたいのか、どうすれば住民を動かせるのか、毎回頭が痛い。いつもくじけたり凹んだりしている。でも、シショーに怒られ、励まされ、なんとか頑張れている。以前の不完全燃焼はもうない。

今はただ、たくさんの出会いに感謝したい。離れ小島の四国を不びんに思い、声をかけてくださる全国の皆さま、突然四国からやってきた私を温かく迎えてくださった福山スタヂオの皆さま、そして偉大なる師畠山シショー。広報界の熱く厚いネットワークのはしっこだが、つながっていることをとてもうれしく思う。

10月17、18日に開かれた、シショーのまち藤沢町での東北広報サミット。今年4回目の岩手上陸。また大きな大きなチカラをもらった。シショー、頑張るけんねっ。

 

にしおか まき

役場8年目。
広報5年目。(旧内子町1年9カ月+新内子町2年9カ月、新内子町は2人体制)
DTPを2007年6月号から導入。 広報紙は月2回発行。(1日号と15日号)

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