
連載コラム
広報って何? 悩める広報担当者の右往左往
執筆 : 田上富久(前長崎市長)
公開日 : 2025年3月5日
職員時代に13年6か月にわたって広報を担当。その後16年に及ぶ市長在任中も広報の大切さを実感してきた前長崎市長・田上富久さんによるエッセイです。
第1回 長い旅の始まり
広報との出会い
市役所に入って最初に配属されたのが広報課でした。担当させてもらったのは、テレビ広報番組の制作。5分番組を毎週2本つくるのが主な仕事でした。
撮影や編集はテレビ局やプロダクションがやってくれますが、広報担当がすることは比較的多く、担当者は市役所の仕事やまちのことをよく知っている必要があります。あとで聞いた話では、新入職員にこの仕事を任せるかどうか、課長はかかなり迷ったそうです。
鈍感力バツグンの私は、そんな心配もどこ吹く風。ただただ、おもしろそうな仕事を与えてもらったことにワクワクしていました。社会人1年生で何にも分かっていないのですが、こういうときは知らないほうが強い。大きすぎるランドセルを背負わせてもらった小学1年生みたいなものです。
「がんばるぞ!」
それが私と広報との出会いでした。
疑問にぶつかる
「学校の勉強はおもしろいと思ったことないのに、社会人になってからの勉強はなんておもしろいんだろう」
雑誌で読んだり、テレビを見て研究したり、テレビ局のスタッフに教えてもらったりしながら、学んだことを実践する日々。乾いたスポンジみたいに新しいことを吸収する毎日が続きました。それまでに感じたことのない充実感でした。課長も楽しそうに仕事をする新人の様子を見て、少し安心してくれたようでした。
2年ほどたつと、今度は広報紙やグラフ誌など印刷物をつくる担当になりました。そうやって経験知がついて少し落ち着いてくると、何か物足りないものを感じるようになりました。
「ところで…広報って何だろう?」
勢いだけで前に進む時期が終わったのかもしれません。月刊「広報」などでよその広報紙を見ると、政策の話題に深く突っ込んだり、デザインが素敵だったり、いろんな広報紙があります。いい広報紙をつくっている自治体には何かしっかりした考え方があるような気がします。
「じゃあ、うちは…?」
花や枝葉に夢中になって楽しんでいたけど、肝心の幹や根のことを何も知らないことに気がついたのです。
答えを探す旅へ
広報課の書棚にあった本を開くと、「広報はパブリック・リレーションズ(PR)の訳語」「戦後、GHQが日本にもたらした概念」「PRは本来、広報と広聴を含むが、日本では広報の意味で使われることが多い」などと書かれていました。
「ふーん。なるほど」
でも先へ読み進んでも何かピンときません。そのうちにページを開く気持ちもしぼんでしまいました。これでは学校の勉強と同じです。
広報課の先輩とコーヒーを飲みながら、ああだこうだ話しました。先輩も一緒に考えてくれましたが、なかなかいい答えは見つかりませんでした。
でもきっとどこかに腑に落ちる答えがあるはず。
「その答えを見つけたい!」
これが長い広報の旅の始まりでした。
広報の根っこ
ずいぶん前に『人生に必要なことはすべて幼稚園の砂場で学んだ』という本(ロバート・フルガム著)がベストセラーになったことがありました。私の場合は、26年半の職員時代のうち13年半が広報担当だったので、自治体で仕事をするうえで大切なことのかなりの部分は広報の仕事を通じて学ばせてもらいました。
その後、市長という重責を16年間担わせていただいた時も、広報は常に大事なテーマでした。
今、メディアはどんどん多様化し、広報をめぐる様相は大きく変化しています。だからこそ、時代の変化に対応しつつも、時代が変わっても変わらない“広報の根っこ”をつかむことがますます大事になっている気がします。
今月から始まるこの新コーナーが、そんな広報の根っこについて考えるきっかけになればと思っています。
執筆者紹介
田上 富久(たうえ とみひさ)
1956年長崎県岐宿町(現・五島市)生まれ。80年長崎市役所入庁。26年7か月の職員時代のうち13年6か月が広報担当。2007年4月長崎市長就任。23年4月まで4期16年務め、その間、長崎県市長会会長、九州市長会会長のほか、被爆都市の視聴として、日本非核宣言自治体協議会会長、平和首長会議副会長などを務める。好きな言葉は「一隅を照らす」「人間万事塞翁が馬」。現在は、長崎地域力研究所代表などを務める。