1:NOISE MOANA 12/09 01:37 ごぶさたしています。 芽吹神社と言われる福徳神社のリニューアルと同じ日、 たくさんの広報人が日本橋に集まり、あるお祝いの会が開かれました。 これまでを振り返り、広報、そして広報人との出合いがなければ 人生はつまらないものになっていたと感じる機会でした。 主賓はまぎれもなく恩人と言えますし、 その巡り合いには、いつも、いつも感謝でいっぱいです。 芽吹神社にちなみ芽出るから豊穣まで、 なぜかデメル、デメーテルとデタラメ(出たら芽)に想像をふくらませました。 知らないものに対する行動に人のあり方がうかがえるように思われます。 学業成績はよかった(よかったからこそ)かもしれませんが 自分の思うことと状況が異なる場合、自分を優先してしまう人がいらっしゃいます。 一般には知っていることより知らないことのほうが多いのですから、 謙虚に知ろうとすれば、よりよくなる可能性は高まると思います。 (このメッセージが自分優先になっていたらサンプルにしてください) できることなら万能れおなるどタイプではなく、問答そくらてすタイプ。 答えを想像することは未来を楽しめるのかもしれません。 何気なく降り掛かることも時間がたてば何かしらの意味を持ちます。 ことしは、8月から仕事、家庭ともに慌ただしい日々を送り それもおもしろいと思えるように向き合いたいと努めていますが 先が見えない、想像できないという感覚は行動に影響を及ぼすようです。 病院スタッフは180日が1単位(「全力疾走」とおっしゃります)、 家族は現在の延長として1年、5年、10年……に及びますから 未知の時間への不安は募るものです。 5年、10年は総合計画的で、ある意味職業病かもしれません。 担当する仕事についても未来のイメージはあるものの 計画が立てられない状況と言ってしまえば悔しいだけのこと。 前期は年金受給により団塊(1st B.B.世代)の向かうところが見えるか、 後期は養育負担減により団塊(2nd B.B.世代)の足元が見えるか、 制度が機能すること、子どものアカルイ未来が重要だろうと思います。 操作するものが成功、反対を考えるほどではないのなら どうでもいいことを盾にすり替えるような構造は疑問です。 かつて、広報にとって大切なものは、というアンケートがありました。 私は「夢が描けること」と回答した気がします。 それは、冒頭の会において久し振りに接した「ホタル」の話と共通します。 もちろん、夢は広報が描くとか広報に描くのではなく、 広報をご覧になった方が、まちの未来として描く(想像する)ものです。 まちはノエルですがノイズに浮かれていられない状況。 総選挙が終わるまでインフルエンザにスクランブルです。 いつも、わけわからないこと書いてすみません。 |