1:LIFE IS BEAUTIFUL MOANA 09/18 00:48 第17回東北広報サミット成功おめでとうございます。 委員会と重なり、往復1000kmの日帰りは無理なため差し入れだけにしました。 先ほど、来年2月の情報を入手し、さらに熱い想いを感じています。 小さい力が集まることが強い力になることを信じていたいし、 時間はかかっても方向を誤らなければ目的地には近付くはずです。 「あの広報は何だったの」、去年の紙面に関するご意見をいただきました。 自分から話すことはありませんから、尋ねられ、答える機会は重要です。 見解には主観が含まれることを前提に事情、解釈を伝えると 多少の偏りはあるかもしれませんが、相手とのかかわりが生まれます。 それは、互いに存在を認識したことになるのかもしれません。 広報は、まちで起きていることと同時にその意思を伝えるものです。 単にカタチではなく、出来事の背景を知ることは、将来への布石にもなります。 あえて言えば、最低最悪の広報に危機を感じましたし、 それしか方法が無いという判断が無意味であることがわからない認識を疑いましたから 広報に対し、ご意見をくださる市民の存在をありがたく思います。 ただし、それが自分と同傾向の意見だからという判断では意味がありません。 どんな意見も平等に扱われ、その先に状況判断があると思っています。 目先の意見を聞いていれば得票に有利であることは当たり前ですし、 多数派工作という方法はあるものの、多数は交錯しますから 行政に依存する市民を拡大するという状況は重大な過失になります。 自立、自治を意識し、役割を果たしていただくことを願うのですが、 過ちが大きいほど補正には時間がかかりますし、判断自体にも無常があります。 何かに役立っているか、わからないにしても、この生命のあることはありがたく 逝ってしまった命に代わり、変わり続ける実体は 自分の存在をかけて、できることをやらなければ申し訳ないのです。 Fujisawaがフィナーレを迎えました。 まちで起きていること、それにかかわった人、それを伝えようとする人 紙面を見ていて、目に涙が浮かび、会話につまることがあります。 広報ではなくFujisawa(「こじ巡礼」2010.9.8参照)、その存在は偉大です。 ご意見を頂いた方の言葉は「気になる広報であってほしい」でした。 気なるってことは、そのものがあり、あることを意識するものがあるってこと。 心は気まぐれ、インターバルが短くてすみません。 |