1:ささやかだけれど、役にたつこと MOANA 10/24 01:38 流れる雲を追いかけたい秋の空です。 帰宅途中の駅で迷っている白杖の女性を見かけ 「分るところまで案内します」と声をかけ、腕を差し出して改札まで同行。 役割が終わると「それじゃ、気をつけて」と別々の方向へ歩きながら 自然に役にたてたかなと少し気にしながら過去の広報を思い出しました。 何度となく、こうした機会に臨むのは障害者を気にしているからでしょう。 広報で障害の記事を書かなかったら状況は異なっていたはずです。 「障害者のことを分ることはできなくても分ろうとすることはできる」 それは、いろいろなものについても向き合う基本になっています。 ささやかであっても役にたつことはうれしいもの。 市民、担当課などの役にたつことが広報の存在価値であり、 広報編集が広報担当だけの仕事では、自分勝手で余裕のないものになります。 作業に追われ、その楽しみが味わえないと行き詰まってしまうから スタッフの苦労が報われるような仕事にしていくことも課題の1つです。 広報の作り方を分っていても実践は難しいことを知っています。 実践できる環境の構築には自分の能力、努力のほか偶然も必要です。 半面、恵まれた環境なら自分の力不足をはっきり感じることにもなるでしょう。 かつての担当時代も決定権のない状況で動かすことの繰り返しだったし、 組織では、それが当然ですから、すべてを肯定的に考えるほうが望ましいはずです。 障害に限らず、いろいろ頑張っている人の記事を書いて、 役にたてないときは申し訳なく感じ、役にたてたときは自惚れないように戒め いずれにしても落ち着かないのですが、いずれにしてもささやかなものです。 スタッフに詫びつつ広報室親睦会旅行をキャンセルして せつなさをエネルギーに予算資料作成と広報プランニングの休日2日間。 これは何かの役にたつでしょうか。 A small, good thing |